私がこの手紙を病院にお届けして、2日後に先生から返信が
ありました。手紙の感想と共に、以前より病院で、満足の
得られる分娩ができないものかと考えてきた、とのこと・・・

私の病院でのお産に対する評価が大変貴重で、今後のあり方
の参考にしたいので、コピーして院内勉強会で配布する許可が
もらえるだろうか、とのお申し出でした。

うれしくて、早速お返事を書きました。


 
 前略失礼いたします
 早々にお返事をいただき、ありがとうございました。
私の手紙を読んでいただくことで、少しでも妊産婦の想いを
産科の先生に知っていただき、よりよいお産を考えていく一助になるなら、
願ってもないことです。どうぞお使いください。
 この手紙も必要ならばコピーしていただいて、差し支えありません。
 A先生が考えておられる病院での満足の得られる分娩-----安全性を
高いレベルで確保した上で、快適な環境、妊婦の主体性の尊重のある-----
を実践してきたのが、ミシェル・オダンだと思います。
そして彼がその実践を行なったのは、個人病院ではなく、
パリ郊外にある国立病院で、です。
” バース・リボーン ” には、彼がそのピティビエ病院に赴任してから、
助産婦に学び、産婦に学びして、ひとつひとつお産の環境を変えていった
経過が書かれています。” プライマル・ヘルス ” は、” バース・リボーン” での
彼の実践の医学的な裏づけ、といった性格のものだと思います。 
是非、読んでみてください。三十年も前から、こんなお産に取り組んできた
医師がいることは、A先生にとっても大きな励みになると思います。

 ピティビエ病院には妊産婦たちがいつでも交流できるように
ミーティング・ホールが用意されていて、病院では毎日のように
病院の見学、説明会や小児科医を囲んでの育児の話、ヨガや歌の会、
おしゃべり会などが開かれています。
妊婦はそういう場への参加を通じて、孤独になることもなく
出産に向けての心身の準備を整えることができます。
妊婦はいつでも病院を訪れてよいことになっていて、出産までに
分娩室にも慣れ、医師や助産婦とも十分話し合うことができます。

 



 オダン先生は、最終的な事態のための準備は整えていてくれますが、
あくまで最終手段であり、それまでは、とことん自然な分娩のプロセスの
妨げにならないように、ということを大切にしてくださいます。
それは、そのことが母子の安全と健康のために最優先されるべきだと
考えておられるからです。それはピティビエ病院での分娩において
医療介入する機会がかなり少なくて済んでいる、という結果となっています。

 ピティビエ病院には分娩時に使用できるプールも ” 野生の部屋” と
呼ばれる、ME( 注:医療電子機器 )とは縁のない分娩室も用意されています。
そんな施設が整い、決して甘やかすことなく、でも産婦にしっかりと
添ってくれるスタッフのいる病院が地域にあったなら、
私も自宅でではなく、その病院での出産を選んだと思います。
ひとつには、安全のため、そしてもうひとつには出会いのチャンスのためです。
子育ては家族だけでするものではありません。
近くに住む 同時期に出産する人たちと出会えることは
産後の子育てのためにも有意義なことです。
病院の検診のときにも他の妊婦さんがいて、声かけてみようかな と思いますが、何となくバリヤーのようなものを感じて、ひいてしまいます。
自分でもどうしてかなと思っていたのですが、
先日友人と話していてわかったように思います。
彼女は何の前知識もなく、 はじめて検診を受けたときに内診があり
「 もう信じられなかった。あれはレイプやと思った。」
と、もう十数年前のことを興奮して話していました。
私はレイプとは思いませんが、でも内診台に乗る時は、
自分の感情や感覚にフタをし、心と身体に鎧を着せなければできません。
他の人もそうでしょう。だからバリヤーを感じるんだと思います。
自分を開いて、ひとと出逢えるような心の状態ではないのです。



 毛利さんは今、仮住まいのため出張分娩しか受けておられないので、
他の妊婦さんと助産院で知り合う、ということはありませんが、
私が西式健康法をしていて お産の経過も早く、出血もほとんどなかったので
貧血の妊婦さんの相談に乗ってあげて と紹介があったりして
お産を通じて知り合う方ができるのは嬉しいことです。

 私の場合、ピティビエのような助産施設が地域にあったわけではなく
病院での管理分娩に委ねるか、自宅での自然分娩を選ぶか
しかありません。病院での”まな板の鯉”状態の分娩や、
さまざまな医療行為(それはぶどう糖やビタミン剤の投与も含みます)を
受けたくないというのもありますが、何よりも 
もうとても仰向けでは産めない  という思いがありました。
先生は男性で、絶対ご自分が出産されることはありませんから
おわかりにならないかもしれませんが
あの体勢で出産するのはとてもしんどいのです。
今回は不整脈で そうでなくても息苦しいのに
仰向けで何時間も動けないなんて、考えただけでも息が詰まりそうでした。
まして その出産方法が胎児にとってもよくない とわかれば
病院での出産というのは決して安全な方法とはいえないでしょう。
病院では ”安全” にこだわるあまり
人が器官の寄せ集めでなく、心ある生きものであり
心のあり様によって  
身体が少なからぬ影響を受けるものだということが忘れられて
かえって ”安全” から遠ざかっていることもあると思います。

 そういうことについても 奈良の 久 先生やオダン先生が
最先端の医療現場にいたものの経験として書いておられます。
( 久 先生は ”らくらくうれしく水中出産” の中で )



 先日、 Bさんという助産婦さんから電話があり
学会の家庭分娩の分科会でA先生が座長をしておられたと聞き
こういう分娩に関心がおありか と、ついお話が長くなりました。
お気に触るところがあれば申し訳ありません。

 もう子供が十二分に育っていて、下がってもきているので
先週あたりから 今日か明日か と思って
ちょっと緊張して胸がしんどかったりしたのですが
夕べも思いついて 主人に 暖かい手を胸においてもらったら
いつの間にか眠ってしまいました 。”手当て” です。
薬も 特別な治療もなくても 症状をよくすることはできます。
私にとっては 主人の手と 
「大丈夫だよ」 という言葉が何よりの支えになるので、
ずっとそばにいてもらえる今度のお産も きっと無事だと思います。
それでも何かあって 毛利さんが病院へいきましょう と言われたときには
その勧めに従うと思います。
そのときに 少しでも 産婦の想いに向き合う態勢で
迎えていただけたら  と望んでいます。

 ○○で、ガイア・シンフォニーの上映会があるので
案内を同封させていただきました。もし気が向かれたら
たまにはこういう世界にただよってみるのもいかがでしょうか。
先生の担当しておられるのは ”順調” でない妊婦さんが多いようですが、先生にとっての ”癒し” になると思います。

 先生が初めて取り上げられたのは、Cさん家の子供さんだそうですね。
C君と うちの次女は幼稚園からずっと一緒なのです。
世の中 狭いなぁと思いました。その話をDさんから聞いて
何だか先生を近しく感じてしまいました。
そのせいで言葉が過ぎたかもしれません。失礼をお許しください。

                         西村令子


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